March 21, 2003
本当の戦争の姿
戦争が始まってしまった。だからこそさらに戦争反対を訴えなければいけないという池澤夏樹さんのメールマガジンが送られてきた。この中で池澤さんがメディアに言いたいこと。
メディアに言いたいことがあります。アメリカ軍の動きを報道することを控えてください。飛び出すミサイルや、離陸してゆく戦闘機、したり顔で成果を説明する司令官、これらは戦争ではありません。
戦争とは破壊される建物であり、炎上する発電所であり、殺された人々、血まみれバラバラになった子供の死体です。水の出ない水道、空っぽの薬箱、売るもののないマーケット、飢えて泣く赤ん坊、それが戦争の本当の姿です。そちらを映すことができないのなら、戦争を報道することなど最初から諦めてください。
確かに言われているように戦争報道の最初の頃には、戦闘機が飛び立つ姿やミサイルが発射される様子が映し出される。あまりに残酷な怪我をした人や悲惨な状態の人々を映すことは少ないかもしれない。放送上映せないのかもしれないが。
戦争反対といっておいてメディアはアメリカ軍の空母に乗り込んでいたりする。攻撃しにいく映像を喜んで放送したいみたいに。
それを見る人がいるからなのだろうけれど。
まだまだ戦争反対を訴え続ける必要がある。
Posted by kengo at March 21, 2003 01:03 AM | TrackBack | I Think | Blog Search | English | QR |
最近の報道や各人のウェブ上での見解を見ていて、尊い人間の命が失われる事に対する痛みと重要性は誰も軽視していないんだと思っています。
しかし、一連の行動でアメリカが原点としている「北朝鮮、イラン、イラクは悪の枢軸」という論もそれなりの納得を呼びます。
「ならず者国家」の脅威にさらされ続ける世界や、その弾圧を受けている(と第三者が類推されている)その国民達を救うための一番良い方法はなんなのでしょう?
一人が生半可な知識で考えた程度ですぐに見つかる物ではないのですが、文字通り頭の痛い話です。
Posted by: Shin Maeno on March 21, 2003 01:55 AMはじめまして。
様々なマスメディアによる戦争報道や、個々人のweblogのポストを見て、いろいろと考えさせられ、自分に何ができるのかと考えています。しかし、「本当の戦争の姿」をいざ自分に突き付けられると、おそらく私は目を背けると思います。
そんな自分にできることは、少なくとも、問題を避けずに考えることかと。
失礼しました。
結局、戦争を正当化させようとがんばっても国のエゴがむき出しになってきているような気がします。ブッシュの演説では「イラクの自由のために戦う」なんて言っておきながらさっきニュース見たら油田を確保するのに急がしそうである。石油は絶対関係ないと言っていたのに。正にやってしまえば勝ちというわけですか。
正しいこと、そうでないことが本当にごちゃ混ぜになった戦争だと思います、
Posted by: ヤスヒサ on March 22, 2003 12:24 AM単純な「戦争反対」コールにはうんざりだ。
彼らは「もっと他の方法があるはずだ」と言う。
問題はフセイン政権そのものにあり、イラク国民が民主的な方法で政権交代を行えない状況にある以上、査察を強化、継続するだけでは5年後、10年後に再び世界はこの問題と直面するだろう。
さらに、フセイン政権は長いことクルド人、イスラム教シーア派の人たちを弾圧してきたことを忘れてはいけない。単純に「戦争反対」と唱えている人たちは彼らの状況は変わらなくていい、と言っていることと同じと言えないか?
もちろん、戦争は避けられるなら避けるべきものだと思う。誰も殺し合いをしたいとも見たいとも思わない。その想いは一緒だ。
しかし、有効な代案を示せないのに「戦争反対」だけを唱えるのは私には無責任な人たちに見えるのだ。
世の中は擧つて平和平和と駄々つ子の樣に騒ぎたてます.平和をよこせ.戰爭は御免だと言ふ譯ですが戰爭と平和と言ふものは其れ程懸け離れた存在なのでせうか.二つは本當に對極にあるものなのでせうか.
成る程小學生の國語のテストであるならば戰爭の反對語には平和と書けば見事萬點を取る事は出來ませう.選擇の餘地もありません.言葉といふものは然うした造りでなければなりません.戰爭の反對語には平和が置かれてゐなければならぬのです.然うした共通の論理を持つた言葉といふ道具を用ゐるからこそ人と人とは辛うじて意志の疎通が可能となるのです.
しかし乍ら其れは言語といふ現實其のものとは全く別の閉ぢられた論理の中だけの話に過ぎません.言葉の世界のみを操るだけで事が片附くものならば此の世は總て單純明解な三段論法の支配する精巧な機械仕掛けのやうな世界となるでせう.即ち平和を意味せぬものは悉く戰爭の範疇に分類しさへすれば其れ以上の詮索も考察も受付けぬといふ世界です.全く何一つ惱みも迷ひも必要の無い完璧な論理の世界.其れも其の筈です.先ほども言ひました通り言語の世界ではA=B,B=C であるならばA=C が成立たなければならぬからです.
しかし其れは現實の世界其のものではありません.
さて實際の世の中はどの樣なものかと言へば戰爭と平和とは謂はば背中合はせに存在するのです.ですから平和と書かれた御守りさへ愼重に撰びさへすれば戰爭を免れる事が出來るなどといふ御手輕な保證は何處にもありません.駄々つ子が好みの菓子の入つた袋を撰ぶやうには行かぬのです.日本に根強く蔓延る平和運動なるものもそろそろ己の駄々つ子振りを恥入る程度には成長して慾しいものです.
追伸
平和平和と御ねだりに明け暮れる駄々つ子があれば反對に戰爭だ戰爭だと駄々を捏ねる輩もある譯ですがアメリカのブッシュ政權は斷じて然うした駄々つ子ではありません.

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