May 30, 2003 Tweet
パブリッシングは言葉を公共の領域に置く事
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山田BBS:blogについて考える。経由で知った記事より気になった言葉。
友人であれ仕事上の仲間であれ、私たちは意外と彼ら・彼女らの社会や政治、文化についての個人的な意見を知る機会はとても少ないのだ。
プライベートなことはなかなか質問しにくい。異性に対しては特にセクハラなんてものもあるし。組織の中では、その立場での発言のほかに個人的な意見も持っているはずなのだがなかなかそれを表明しようとする人は少ない。
むしろ、インターネットは基本的に非同期が前提であり、その分時間をかけた思考が可能なメディアであるということは、ウェブログや「はてな」のサービスが示していることだと思う。
リアルタイムで同期する形態もインターネット的だが、人々の生活時間帯が人それぞれになる現代においては非同期でもコミュニケーションが取れるということも重要かもしれない。いつ見ても情報がそこにあるということが大事だ。
インターネットの最大の強みは、非同期的な分散による協業だ。そして、日記や日録というのは、ジャーナリズムの起源であるところの、市民の日々の考えの記録だ。世界中で別々の場所で別の日常を生きている人たちの真摯な思考が、少しずつ寄り合わさって、力強い言葉になっていく。
Blogにかかれるものが果たしてジャーナリズムかという点には疑問に思う人も多いだろうが、"市民の日々の考えの記録"という点は確かにそうだろう。それぞれの場所でそれぞれの生活をしている中で、人々の考えが分散してBlogとしてネット上にある。多様性が価値を生むとすればこれは意味がある。自分と違う考えの人がいることを知ることは重要だ。
パブリッシングとは、何より、自分の言葉を公共領域に置くということだ。それは、だれにでも参照可能で、反論も可能な場に言葉を置くということで、パブリッシュされた言葉の相互作用がが生み出すものが、真のジャーナリズムなのである。
なるほど、パブリッシュという言葉の語源を考えればわかりやすい。パブリックな場所に自分の言葉を置くということがパブリッシュなんですね。そしてそれを参照と反論が可能な場所におけばそれがジャーナリズムになるということですね。なるほど。
そうするとBlogで書かれたものもこれに該当するだろうから、内容の濃い薄いはあるけれどもジャーナリズムの一種ということになるのだろう。逆にコメントがすべて採用されるわけではない現在のマスメディアはジャーナリズムではないともいえる。新しい視点だ。
ジャーナリズムは一方通行でいいのか?
これが課題かもしれないですね。
Posted by kengo at May 30, 2003 12:45 PM | TrackBack | BLOG | Blog Search | English | QR |
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