September 26, 2003
世界で1つだけであるということの価値
大衆に支持されるものが必ずしもいいものとは限らない。しかし、大衆が支持するからこそ素晴らしいものと言うこともできる。一見矛盾するこの話も、物の再現性を考えてみるとわかりやすいかもしれない。
日経新聞9/25 朝刊 ゼミナール文化力と企業戦略より
絵画は最低1人の心をとらえれば経済的に成り立つことがあるが、小説は大勢の心をとらえなければならない
印刷技術により、最近ではテキストデータにすることで多くの人に読んでもらうことのできる小説などの文章は、確かに多くの人に支持されないと収益は生まないかもしれない。出版社も読者の少ない作家に原稿を依頼したりはしないだろう。一方、絵というものは転売することができるということもあり単価はある程度高くなる。基本的にそれほど支持する人が多くなくても買い上げてもらえば生活は成り立つわけだ。
時々思うのは絵を書く人にとってはそれは仕事なのかもしれないが、気にいった作品を売ってしまうことで他人の物になってしまう。自分が描いた気に入った作品が人のものになってもいいのだろうか?そんなことを言っていたら生活できないかもしれないが、愛する人の絵を描いたりするわけだから絵にかなり思い入れがあると思うのだけれど。
芸術家が生存中はなかなか評価されないと俗に言われるのは、気に入った作品は手元に置いておいて死亡後にそれが世にでていくからなのかもしれないとふと思った。
感受性が強い芸術家は、自分の作品に愛着があるはずだと思うのだけれど。
技術的には可能なのかもしれないが、世界に一つしか無いということが絵にこれだけの価値を与えているのだろう。そう考えてみると、世界で一つしかないものは1人からだけでも高い評価が得られれば、それで意味はあるのかもしれない。
そう考えると、いくつも内容をコピーすることのできる小説などは1つあたりの単価が低いのはなんとなくわかる。音楽もそう考えると録音された音源も大事だが、やはり評価されるべきなのは生の演奏なのかもしれない。クラシックのコンサートのチケット代が高いのもなんとなく理解できる。小説も作家の朗読とかそういうライブがあってもおもしろいかもしれない。
音楽がデジタル化されていくと、一つ一つの曲のデータは自分のコンサートにお客を呼ぶ為の販促品みたいなものになる可能性もありそう。
生演奏が上手でないアーティストには耳の痛い話かも。世界で1つだけのもの、1度きりのものは思っている以上に実は価値があるもかもしれない。
Posted by kengo at September 26, 2003 02:15 PM | TrackBack | I Think | Blog Search | English | QR |

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